昭和57年10月07日 朝の御理解
( ? )親先生以降、何時も親先生御留守を守らせて頂く中で、ほんとにこうその度々におまわせて頂くのですけれども、いよいよ親先生の御留守を守らして頂く内容は、本当にこう親先生への真似事からでもと言う信心が、あのう先ずこう芯になって行かなければならないと言うものを、こりゃもうほんとに何時もの事ながら、そのことを思わして頂くんですが。今日ここの御理解を開かして頂いた時に、あのうほんとに短い御理解なんですけども。
この御理解を開かして頂いてほんとにいよいよこう、世間と言うか自分の世界と言うのがいよいよ広くなって行く、広がって行くそのためには、どうでもその広がる元というのを頂かなければならないと言う事を。今日はあのう改めて思わして頂く訳ですけれども。信心はこうしなければならないという、あのう所をそういう生き方にはもう決して広くなる。いわゆる世間が広いと言う事ではないと思いますね。その本当にどうあってでもあの良い信心になって行く為の。
そうなっていかなければいよいよこう、住む世界と言うのが変わって行かなければ、世間が広うなっていかないと思う訳ですけども。その世間が広うなっていく元はやはり、あのう今日ほんとに改めて思う事は、その広うなる元、親先生がよく扇子の御理解をされます。肝心要という所がしっかりできて初めて末広のおかげ。いわゆる広がりに広がって行くおかげだと言う事を言われる。そのもとはやはり肝心要のところがきっちりとこうして始めて広がって行くんだと思いますが。
その肝心要を改めて、今日の御理解を頂かして頂きながら。その世間が広うなる為の内容と言うのは今日は、親先生の真似事からでもという信心がいよいよ、さしてからこそこの狭い畳み半畳の中に、いよいよ有り難さを頂いて行く稽古からしか本当の意味での世間が広うなる。本当にあれも許されるこれも許されると言う様な世界へは進めない。本当にそういう所をからしかそういう世界には進めないんだなと言う事を今日は実感させて頂きました。いよいよそう言う世界が広がっていく、有り難い世界がいよいよ広がっていくためにその元を今日一日稽古さして頂きたいと思わして頂きます。
有難う御座いました。